庭園      藤棚 旧芝離宮恩賜公園                  戻る   

 この地は、海浜と呼ばれていた眺望豊かな海浜でしたが、延宝6年、時の老中大久保忠朝が下屋敷として賜り、約8年の歳月をかけ作庭し「楽寿園」と名付けました。その後、幾多の変遷を経て明治8年には宮内省所管、翌9年芝離宮となりました。関東大震災によりこの名園も廃墟と化しましたが、翌13年皇室の御慶事記念として東京市に下賜され、市では復旧に努めるとともに一般公開し今日に至っています。
 本園は、江戸庭園の典型ともいえる潮入の回廊式築山泉水庭で、潮の干満を利用して水辺に変化を持たせた池を中心に作庭され、品川の海が眺められるようになっていました。又、池中にある西湖の堤は中国浙江省のそれを模したもので、園景の中心である中島(蓬莱島)の石組や州浜などとともに、見どころの一つとなっています。

 現在は、前面の海岸埋立により海浜の眺望を失い、東海道本線の拡幅や新幹線の敷設などで園地を狭められましたが、地割の妙などに往時をしのぶことができる名園であります。 (入場券より

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