見学コース 久地円筒分水・二ケ領用水・久地梅林公園 戻る

 久地円筒分水 
多摩川の水は中野島、宿河原の取り入れ口から久地で合流し、久地分量堰へ導かれていた。これは田中
の設計で、川崎堰、根方堰、六ケ村堰、久地二子堰に分けるため堰からあふれ出る流れを、それぞれの耕地面積に応じた堰(水門)で水量比率を保とうとするものだった。しかし分量をめぐる争いは絶えず。、昭和16年(1941年)当時としては最も理想的かつ正確な分水装置の一つとして現在の円筒分水が作られた。サイフォンの原理を応用して平瀬川の下をくぐり、円筒の切り口の比率に応じて分水する仕組みになっている。国の登録有形文化財。
 二ケ領用水
16世紀末、小泉次太夫は「水を引き新田開発」を、徳川家康に進言し、工事は 六郷用水と二ケ領用水とを並行して進むように行い、16年後の慶弔16年(1611年)に用水が完成し、稲毛領と川崎領のほぼ全域に水田ができるようになった。その後荒れ果てていた用水路は、亨保9年(1724年)に田中休 行った、宿河原取り入れ口の改修、総延長32キロに及ぶ用水の大ざらいにより、元の姿によみがえった。
 久地梅林公園
江戸時代に川辺森右衛門が実を取るために植えたと伝えられる。様々な種類の梅が植えられ、早春には紅白の花が咲いて春の訪れを知らせます。園内には、北原白秋が往時の久地梅林を読んだ歌碑もあります。
屋敷と呼ばれる川辺家の門が当時をしのばせている。

川崎市高津区ホームページより

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